日本は世界有数の現金大国とされ、政府がキャッシュレスの旗を振り続けている一方で、現金流通高は100兆円、タンス預金として眠っている現金も50兆円とされています。
タンス預金が成り立つのは、日本がデフレ社会だからです。物価が1990年代からほとんど上昇していなければ、地価も今年に入ってようやくマイナス圏を脱したような状況です。
こうしたトレンドは、果たして今後も続くのでしょうか。ここでは、物価や資産価格上昇率の推移と見通しを検証した上で、不動産を中心に有効な投資戦略について考察します。
昔の日本は超インフレ社会
今の若い方々には信じられないかもしれませんが、1970年代までの日本はインフレ社会でした。年平均上昇率は2桁に上り、消費者物価指数(1970年=100)は1980年には236に達しました。10年間で、モノの値段が2倍以上になったのです。
資産価格の上昇率はさらにすさまじく、特に1960年代前半の高度経済成長期(オリンピック景気)のころには年率40%近い上昇率を示しました。土地バブルのころですら20%に届かなかったわけですから、そのすごさが分かります。特に東京都区部の上昇率は、半年間で50%に達した時期もあるほどでした。
その後も1970年代の列島改造ブーム、1990年ごろの土地バブルと続きました。この時期までは、土地の値段は必ず上がるという「土地神話」を多くの日本人が信じ切っており、3つの急騰期を除いても、石油ショックの1974年などを例外として、地価は景気が悪いときでも上昇するのが当たり前でした。
その結果、6大都市の公示地価(1955年=100)は、バブル絶頂期には16,000にまで達しました。40年間で160倍に高騰した計算になります。1990年末における日本の地価総額は2,400兆円を超え、アメリカ全土の実に4倍に達したとされています。
この時期に、定期預金で預けていたことは有利だったのでしょうか。ちなみに1974年の郵便貯金金利は、4.32%と現在よりかなり高い水準にありますが、物価高に追いつく水準に達せず、預けていると目減りするような時代だったのです。
デフレが続いた「失われた20年」
ところが地価は、1992年を境に下落へ転じます。その後も地価はマイナス圏から脱することができず、13年後には絶頂期の5割にまで下がり、20年後には1980年ごろの水準に戻ってしまいました。土地神話はあえなく崩れ去ったのです。
物価も下落に転じます。消費者物価上昇率は1998年から2013年にかけて、15年間のうち実に10年間がマイナス、物価指数(1998年=100)は2013年に96.53にまで低下します。
デフレ脱却を図るべく、日銀は金融緩和姿勢を強め続け、市中金利は急低下します。郵便貯金金利も2009年には0.1%を割り込み、ほとんど利息が付かない時代に突入したのです。
これからは資産価格の格差が拡大する
2013年3月、黒田東彦日銀総裁が就任し、アベノミクスとの二人三脚で超異次元金融緩和をスタートさせてデフレ脱却を目指します。
目標としていた物価上昇率2%には未達である一方で、金融緩和は沈滞していた資産価格に恩恵をもたらします。3大都市圏や4大地方都市(札幌・仙台・広島・福岡)ではここ5年間連続で上昇、かつモメンタムを強めており、商業地での上昇率は3大都市圏で5%を超えました。4大地方都市の勢いはさらに顕著で、あと一息で2桁に乗る水準です。
しかし、好調さは地域によってまだら模様です。同じ東京圏の住宅地でも、都心部での上昇率が6%に達する一方で、多摩地域や周辺3県の主要エリア以外では1%以下にとどまっています。
その他の地方圏も、相変わらず元気がありません。商業地でようやく横ばいに転じたものの、住宅地は相変わらずマイナス圏に沈んでいます。
銀行に預けていても増えない時代に、不動産にはまだまだ伸びしろが期待できます。ただし、堅調なオフィス需要・都市再開発によるインフラ整備・割安感からの海外投資家による資金流入等は一部エリアに限られ、昔のように資産価格上昇が全国に行き渡るわけではありません。
資産運用にあたっては、今後有望なエリアなどを吟味した上で、物件選びに生かすようにしましょう。
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